世界をつなぐ 人類の智慧 歴史

きずな ~伝承の数々~

  

  

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浅野総一郎は昭和5年11月9日に逝去し、戒名は「積功院殿偉業総大居士」である。その名の通り、生涯に亘り、実に様々な事業や「もの創り」の種を蒔いた。それらは、後の日本の近代化に大きな力となった。没後、7回忌当時の事業は下記の通りである。(記念アルバムより)

下記にそれらの当時の業績と関連写真を掲載する。これらが、後の、つまり今日の日本の基幹産業の根となっていることに気付くことであろう。

昭和11年現在の浅野系企業

東京湾埋立株式会社

    
    

現在は東亜建設(株)

浅野セメント株式会社

    
    

他社との統合により現在 太平洋セメント

関東水力電気株式会社

    
    

現在は  東京電力の管轄

浅野造船所  (創立期の活動と実績 及び  現在のユニバーサル造船に至る経緯

 関連ホームページ ↓

浅野造船所(ウイキペディア) ユニバーサル造船所  
 東洋汽船 大正期   

  HAKUSHIKA MARU 東洋汽船HPより 
白鹿丸

 浅野造船所の第一船として建造された。

世界的にも異例のスピードで完成。起工.....大正6年(1917)2月11日。

進水......大正6年7月17日

竣工......大正6年10月28日

発注者....辰馬汽船株式会社(西宮)

丈夫な構造で長持ちしたものの、昭和19年10月18日、フィリピンのマニラ湾南方で米潜水艦の雷撃により沈没。

 

 日本セメント株式会社   明治17年、経営難にあった官営深川セメント工場のはじめての民間への払い下げを受けた。その後、浅野セメント工場として技術の向上と国産向けの安いセメント製造に奮闘。

 当時外国産セメント樽28円を輸入していたが、樽5円の国産品を製造。皇居造営その他に使用。明治初期の日本にとって築港工事を国産品で為すことは不可能と思われていたが、横浜築港などに取り組む。       浅野セメント合資会社   明治31年(1998)2月 - 浅野セメント合資会社と組織を改める。大正元年10月 - 浅野セメント株式会社設立。 

    
 深川 浅野セメント工場    艀で運河を利用し、原料を運んだ。   

 

 ◆人と動物の違いは 能力や経験を伝えあうことが出来ることでしょう。

 そのことにより、人類の文化は発達し、地球の番人としての役割をも果たすようになりまはた。

 

 ◆温故知新と云われるように、人類の智慧の蓄積を学ぶことで、未来への指針が見えてきます。偉人と云われる人々は、この能力が研ぎ澄まされている為に、同じ一生という時間の枠の中で、世の中を引っ張っていく力を発揮できたのです。

 

 ◆まず日本人として、日本の古来からの歴史、また、明治以来の近代化がどのようになされたかを知ることが非常に興味深く、未来につながることと思います。

 その意味で、幕末に生を受けた一民間人、浅野総一郎の生涯を再現すること、また、その周辺の人物、例えば渋沢栄一、安田善冶郎、大倉喜八郎、益田孝、後藤新平などの人物の業績にも触れたいと思います。

 ◆また、日本各地の近代産業遺産として価値あるものをご紹介致します。

 ◆さらに、これからの子供達が工夫力、創造力をはぐくみ、新しい日本を担っていくために、一つの提案をいたしました。マジロコという木の積木です。見かけはシンプルですが、幼少期よりマニアックな大人までが楽しめる不思議な、かつ、たのしい積木です。魔方陣の原理ともう一つの数式を応用してあり、実用新案登録をしております。皆さまには広く割安でお届けしたく、努力しております。

 

 

  

 

 

    

  

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