世界をつなぐ 人類の智慧 歴史

きずな ~伝承の数々~

  

  

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  日本で最も早く タンカー運行を企画 

淺野総一郎は日本でタンカーの必要を最初に痛感し、実際に原油輸入の為のタンカーを日本に持ち込もうとした最初の実業家です。

明治後期 関連ホームページ     東洋汽船 タンカー

相洋丸 (青木榮一氏提供)

武洋丸
相洋丸武洋丸

竣工 明治39年

東洋汽船運航の我が国初のタンカー

英国より購入

進水 1907年 7月 英国産

明治41年 東洋汽船が英国より購入

明治43年に 貨客船に改造

紀洋丸

玄洋丸

紀洋丸

竣工 1910.10.11(明43)
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造に

東洋汽船より発注

1935.1(昭10)東京シアリング(東京)に売却。

浅野総一郎の7回忌の記念行事として、昭和11年に浅野物産より、川崎造船に発注。

石油事業 エピソード  世界でも最も早い石油炊きを企画した男

くから石油事業に進出していた浅野は国内の産油量が少ないことを危惧し、また精油済み石油製品を輸入するより、原油をタンカーで輸入し、日本の精油工場で精製販売することを決意し、猛烈な勢いで保土ヶ谷に精油所建設を進めていた。また、日本造船界史上新機軸の豪華大型貨客船として注目された天洋丸を石油炊きにすることを世界でももっとも早く企画していた。

同時に、「日本初のタンカー」を2隻英国に発注、また3隻目は三菱造船所に発注した。それが、相洋丸、武洋丸、紀洋丸であった。しかし、国内の石油業を圧迫する恐れがあると国内石油業者からの強い反対に遭い、今日では当然であり、また最も進んでいた「原油をタンカーで輸入する」業務を途中で断念せざるを得なかった。

浅野石油部の保土ヶ谷精油所がそのまま起動していれば素晴らしい業績であったが、時代がついていかなかった。しかし、浅野のタンカー業務は後に浅の物産により、本格的になる。

また、浅野石油部は明治24年以来のサミュエル.サミュよりのシェル商会からのロシア油輸入業務は続いており、東京市内の特約店の半分以上と特約関係を結んでいた。娘婿の寺田商店がその活動の中心であった。

 

 ◆人と動物の違いは 能力や経験を伝えあうことが出来ることでしょう。

 そのことにより、人類の文化は発達し、地球の番人としての役割をも果たすようになりまはた。

 

 ◆温故知新と云われるように、人類の智慧の蓄積を学ぶことで、未来への指針が見えてきます。偉人と云われる人々は、この能力が研ぎ澄まされている為に、同じ一生という時間の枠の中で、世の中を引っ張っていく力を発揮できたのです。

 

 ◆まず日本人として、日本の古来からの歴史、また、明治以来の近代化がどのようになされたかを知ることが非常に興味深く、未来につながることと思います。

 その意味で、幕末に生を受けた一民間人、浅野総一郎の生涯を再現すること、また、その周辺の人物、例えば渋沢栄一、安田善冶郎、大倉喜八郎、益田孝、後藤新平などの人物の業績にも触れたいと思います。

 ◆また、日本各地の近代産業遺産として価値あるものをご紹介致します。

 ◆さらに、これからの子供達が工夫力、創造力をはぐくみ、新しい日本を担っていくために、一つの提案をいたしました。マジロコという木の積木です。見かけはシンプルですが、幼少期よりマニアックな大人までが楽しめる不思議な、かつ、たのしい積木です。魔方陣の原理ともう一つの数式を応用してあり、実用新案登録をしております。皆さまには広く割安でお届けしたく、努力しております。

 

 

  

 

 

    

  

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