世界をつなぐ 人類の智慧 歴史

きずな ~伝承の数々~

  

  

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 あらまし

浅野総一郎は明治維新の20年前に現在の富山県氷見市薮田で村医者の子として生まれ、明治4年に手徒空拳で上京。
その後横浜を起点に懸命に働き、まずは石炭業で成功。その後、渋沢栄一に知己を得て、本格的な日本の近代化に邁進します。近代日本が世界に認められた「ものつくり」「技術の日本」の根底で様々な努力奮闘を重ねました。浅野の実績は実に多岐にわたり到底一人がなしえたこととは信じがたいのですが、そのスタートから順次必要に応じて工夫していった結果であり、日本の起業史として価値ある足跡を残しました。

明治維新の20年前に産まれ、明治4年に24歳で上京した淺野総一郎の生涯追うことではからずも、幕末から明治.大正.昭和そして平成に至る日本の具体的な近代化を具体的に再現することとなります。また多くの産業や企業の歴史がどのように発達したかにも触れることになります。

浅野総一郎は嘉永元年、現在の富山県氷見市薮田で村医者の子として生まれ、幼名は泰治郎。家を年の離れた姉夫婦が継ぐこととなり、6歳で氷見の町医者に嫁いだ叔母夫婦の家の養子となる。将来は医者になるべく、儒学や剣道の塾に通う。剣道や相撲は好きだが、勉強には熱が入らなかったようだ。しかし、記憶力は抜群で、医師の必読書の寒傷論はたちまち完全に記憶し、周囲は舌を巻く。しかし、望みは「大海原に千石船わ走らせる大商人になること」であった。友人は商家の息子と坊主の息子。3人でいつも野山を駆け回った。


  前編  故郷遍 上京編 明治の横浜時代 燃料商時代 国内海運

 

14歳から、医師の見習いを始め、養父の代診を勤める。

15歳 コレラ流行により、当時の医業の限界を思い知る。医者にはならないと決意。生家へ帰る。養父の怒りは激しかったが村の肝入り役が間に入り、その場はおさまった。

15歳、少年事業家。さっそく、大商人となるへく、奮闘努力がはじまる。

 織物製造販売業  越後.越中で幕末の地場産業であった縮機 自宅で開業。縮み機機を裏庭に据え、織女を雇い、縮機織りを始めた。藍で染め、自ら近隣を売り歩いた。張り切り、醤油製造まで始めた。

16歳、事業拡大で、採算が合わず順次整理。特に醤油製造は経験のない者には無理な仕事であった。

 その後、姉夫婦が相次いで亡くなり、母と弟の面倒を見る一家の責任が肩にかかる。

17歳、新規一転、氷見針を行商しながら、京都に。東本願寺の宿坊に滞在。当時の若者たちは京都に京都にと集まった。はからずも、同じ時期(元治元年3月)、東本願寺の向かいの御所には渋沢栄一が滞在していたし、坂本龍馬も四条河原通り辺りを出入りしていた。宇治にも滞在。

 実は、当時としては最新鋭の農機具の稲扱き機を因幡から船一隻分

仕入れる旅であり、それを貸し付けして商売するつもりで、近隣の人〃から、なんと250両の大金を集め、仕入れに当てた。因幡からは自ら回漕し、氷見の浜辺に船をつけ、祝いの舟歌で迎えられる。しかし、この年は凶作で、近隣には餓死者も出るほど。稲扱き機レンタル業はまったくの不調に終わった。しばらくは、家の田畑の手伝いをする他なかったが。

19歳、近隣の有力な庄屋の家から、婿にとの話。肝煎り役の山崎翁が仲人役。これを機会に、泰治郎から惣一郎と養父の名を一字襲名して、名乗る。後に総一郎となる。庄屋の婿として、帯刀も許され、家の郎党たちを指揮して、広い田畑を管理する術も身についた。また、冬の農閑期には筵作りをすることが村人たちの副収入になること。加賀の前田侯が村を訪れることもあった。惣一郎は舅の信頼も得るようになる。

20歳(明治元年)、産物会社を提唱。株主を集め、利益がでれば配当を配る。

。離縁。

22歳 淺野商店を氷見の朝日町に

■越後への米の買いつけ

この時、またもや米の大不作。総一郎は米処として知られた越後まで船に飛び乗り、米を故郷に運ぼうとしたのです。しかし、......。米俵を開けてみると、中身のほとんどは空籾ばかり。不作の時ですから、当然というば当然ですが。九転10起の人生と言われるのは、確かに発想は良いのですが、時期早尚だたりだまされやすかったことも多々ありだったのです。しかし、船を自在にあてやつり、海を自在に行き来することは、産まれながらに身についた行動でした。後に浅野回漕部で相当の利益を挙げたり、東洋汽船では日本を代表する外国航路として世界に躍り出た素質は少年時代からの血そのものだったのです。
 軌道に乗り始めたが、折からの明治維新の動乱で、加賀の産物会社も倒れ、惣一郎の産物会社も経営がなりたたなくなる

23歳

24歳 明治4年5月5日 上京

その後横浜を起点に懸命に働き、まずは石炭業で成功。その後、渋沢栄一に知己を得て、本格的な日本の近代化に邁進します。近代日本が世界に認められた「ものつくり」「技術の日本」の根底で様々な努力奮闘を重ねました。浅野の実績は実に多岐にわたり到底一人がなしえたこととは信じがたいのですが、そのスタートから順次必要に応じて工夫していった結果であり実に、人間として、また日本の起業史として価値ある足跡を残しました。

  明治4年の上京後


明治4年5月 総一郎は故郷富山を飛び出し、本郷赤門前までやってきました。前田侯のお屋敷に故郷との絆を感じたからでしょう。その門前の大塚屋という宿に長期滞在することに決心。持ち金全てを宿の主人に預け、自分は、まず東京中を歩き回りました。本心は、明治政府に関わりたいと、折橋なる知人の参議を訪ねたのです。しかし、「浅野さんは役人は向かない。商売さっしゃい。商売がおぬしの柄じゃ」と言われ、おおいに腹を立てたのですが、頭を冷やせば、そま通りかもしれないと、今度は商売の種を探して、東京中を歩き回りました。

そこから歩いて数町のお茶の水の橋の上で、「水売り」に精を出します。一杯1銭。資金は甕、ヒシャク、砂糖、茶碗で、あまり資本がいらない割には、三月で12円を稼ぎ出しました。

明治4年秋 夏が終わると、水売りはできません。そんな時、閃いたのが、横浜という土地です。西洋の文化が怒濤のように流れ込む、そういう土地ならば、何かがはじまりそうです。故郷にいた頃の知人に味噌などを売る店を開いている者がいたのを思い出し、そこを訪ね、取りあえず店を手伝うこととしました。10日もたたぬうちに、総一郎は新しい商売の種をみつけました。

「竹皮商」です。当時は、何を包むにも竹皮を使っていましたが、繁盛する店は消費量が多いが、多忙過ぎて自分で仕入れに行く暇はない。ならば、こちらから売り込めば、相手も重宝するし、こちらも儲かる。と気づいたのです。そこで、横浜から小舟に飛び乗り、千葉に渡りました。現在のアクアラインのルートです。姉ヶ崎の船問屋を訪ねました。江戸の頃は日本各地は海で繋がっていて、富山の総一郎の祖父泰仲のことをこの千葉の船問屋はよく知っていました。「医者の息子のあなたに、竹皮商などつとまりますかな」と嘆くのを尻目に、「そんなことは言っていられません。稼ぐに追いつく貧乏亡しです」とケロリとしてもの。船一杯の竹皮を仕入れることに成功。その足で、腕の良い重吉という竹皮職人を雇い、横浜に2階建ての家を借り、そこで商売を始めたのです。総一郎の総一郎たるところは、既に後の大実業家たる基本を備えていました。●扱い量が膨大である。●腕の良い技術者を大切にする。●自分もその技術を一通りは習得する。●早起きを旨ととし、誠心誠意働く。●工夫すべきところがあれば常に工夫を心がける。●販売は全て自分が引き受け、積極的に販路を開拓する。●従業員の食住は責任を持つ。●利益は次の事業の元手に回し、個人生活は質素倹約を旨とする。●次の事業の種に目を光らせる。以上です。
 こんな働き者の総一郎に一目惚れしてしまったのが、向かいの店で働いていた鈴木サク。サクは実は宇都宮の絵師の娘ですが、維新の戦闘で、官軍に家を焼かれ、一家で横浜にでてきたばかり。一家を助けようと一生懸命の働き者でした。

明治5年春 鈴木サクと結婚。仲人を頼み、ささやかな宴を家の二階で執り行いました。さあ、いよいよここから二人力です。

 上京篇 に続く

浅野総一郎 9転10起の男 の生涯

   ~明治から大正.昭和.平成の産業史~

 







 

 ◆人と動物の違いは 能力や経験を伝えあうことが出来ることでしょう。

 そのことにより、人類の文化は発達し、地球の番人としての役割をも果たすようになりまはた。

 

 ◆温故知新と云われるように、人類の智慧の蓄積を学ぶことで、未来への指針が見えてきます。偉人と云われる人々は、この能力が研ぎ澄まされている為に、同じ一生という時間の枠の中で、世の中を引っ張っていく力を発揮できたのです。

 

 ◆まず日本人として、日本の古来からの歴史、また、明治以来の近代化がどのようになされたかを知ることが非常に興味深く、未来につながることと思います。

 その意味で、幕末に生を受けた一民間人、浅野総一郎の生涯を再現すること、また、その周辺の人物、例えば渋沢栄一、安田善冶郎、大倉喜八郎、益田孝、後藤新平などの人物の業績にも触れたいと思います。

 ◆また、日本各地の近代産業遺産として価値あるものをご紹介致します。

 ◆さらに、これからの子供達が工夫力、創造力をはぐくみ、新しい日本を担っていくために、一つの提案をいたしました。マジロコという木の積木です。見かけはシンプルですが、幼少期よりマニアックな大人までが楽しめる不思議な、かつ、たのしい積木です。魔方陣の原理ともう一つの数式を応用してあり、実用新案登録をしております。皆さまには広く割安でお届けしたく、努力しております。

 

 

  

 

 

    

  

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